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2016年8月11日

元ヤマト運輸社長 故小倉 昌男氏 「大和運輸という船は沈没しかかっている。乗組員である君たちに降りろとは言わないが、荷物は海に捨てて船を軽くしてほしい。後で埋め合わせをするから」

 昨日(10日)の日経電子版に掲載されました。

 2002年の私の履歴書の再掲だそうです。

 「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親で元ヤマト運輸社長 故小倉昌男氏が父親から引き継ぎ2代目社長になられた時の回顧です。

 『1971年(昭和46年)3月、車いす生活を余儀なくされていた父に代わり、46歳で2代目社長に就任した。会社はガタガタの状態だが、時期が悪いなどと嘆いている暇はなかった。再建するしかない。

 長期低迷に追い打ちをかけるように、1973年に第1次石油ショックが起こる。大口貨物集中の営業政策をとっていたこともあり、荷動きが急激に落ちた。1974年度には路線事業の輸送量が前年度比で約25%減少し、緊急措置として人件費に手をつけざるを得なくなった。

 組合に「大和運輸という船は沈没しかかっている。乗組員である君たちに降りろとは言わないが、荷物は海に捨てて船を軽くしてほしい。後で埋め合わせをするから」と頼んだ。組合員の雇用は守るが、それ以外は我慢してくれということだ。会社側も役員報酬を減らし、ゴルフ会員権もすべて売ることにした。役員の車も廃止し、自分も電車で通った。

 社員に頼んだ施策の一つが、地方からの応援方式である。同業他社の多くは地方に本社があったが、大和運輸は東京にある。このため賃金ベースが一人平均で月5000円は高かったと思う。コストの6割を占める人件費の格差は痛いが、今さら嘆いても仕方ない。貨物量の少ない地方の社員を東京や大阪の勤務にあて、労働力の平準化を図ることにした。組合と交渉し、3ヵ月交代で転勤してもらった。

 また、新規採用を止め、生活への影響が比較的小さい独身者や主婦を中心に、臨時社員の肩たたきもした。

 1973年には約6,500人だった社員数を2年後には約1,000人減らしている。

 しかし、組合員の整理はしなかった。

 後に宅急便を始める時に役員全員が反対したが、組合が協力してくれたのは、この時の下地があったからだと思う。今、多くの経営者が"リストラ"を連呼しているが、やる気のある社員が皆辞めたらどうするのか。恐ろしいことだ。・・・』

 どうしてもしなければならない人員整理でも最後に回したいものです。

 その為に日々、恒常的にコストダウンに取り組む体質をお作り頂きたいと存じます。

 何卒、よろしくお願い致します。

投稿者:株式会社コストダウン 日時:23:59 | 

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